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15年前小布施堂に入社。
5年前から桝一市村酒造場の蔵で酒づくり。


 今年、酒蔵で6つ目の冬を迎えます。まだまだ、仕事を覚えるので精一杯。酒づくりの世界には、一瞬にして全部ダメになり得る怖さがある。緊張しますね。
 隣町の須坂の出身で、高校を出て小布施堂に入ったんです。甘いもの?――ええ、嫌いじゃありませんねぇ(笑)。
 それが5年前、桝一の蔵に行くよう言われまして。戸惑いました。お菓子ならともかく、お酒は全く未知の世界で、想像もつかないじゃないですか。きく質問すらわからないというか・・それに私、あまりお酒、強くないほうですし・・。


 戸惑っていたら、植木職人の父に励まされました。「酒づくりなんて普通、習いたくても習えないんだよ」ってね。先輩方は厳しくて、優しくて。蔵で学んだのは積極性、ですかね。私はそれまでどうしても、受け身がちなほうでしたけど・・職人は、自分から動かないと学べませんから。
 醸造試験場の100日講座に通うようになって、実感したんです。桝一みたいな昔ながらの酒づくりをする蔵って、珍しいんですね。てっきり他の蔵も同じかと思っていたんですが(笑)、よそはわりと機械化、進んでますよね・・。
温度計はあまりあてにしないで、杜氏さんたちの手の感覚や五感で麹を、酒をつくる。大切な蔵です。私も早く仕事、覚えないと・・。
 いまはお酒も結構、いろいろ飲むようになったんですよ。でも私の場合、好みはやっぱり甘口かなぁ(笑)。
・・・なんです。
 あれは、吟醸酒だったのかなぁ。お星様を飲んでいるみたいでした!(笑)・・二十歳で日本酒に出会い、人生が変わりました。キラキラ光って香りが立って、口当たりがいいのに、喉元を過ぎるとドンときて。感動しましたね。酒どころ新潟にある大学に進学してホントよかった(笑)。

桝一に入社1年目。
出身は隣町の須坂市。


 子どものころから牧場に憧れて、大学で畜産学を専攻していたんですが、専攻も変えちゃいました。お酒を腐らす火落菌を殺すタンパク質をつくる菌や、いま話題のキチン・キトサンの分解酵素などの研究に没頭してきたんです。微生物の可能性、多様性って、すごいものがあるなと・・。
 キチン・キトサンは、延々と並ぶ糖の連なりです。そのどこをどうチョキッと切り、分解するか。大学院へ進み、基礎研究――真理の追究にのめり込みました。

「酒づくり希望。女。大学院出」の就職活動は、苦戦続きでした。故郷・須坂の隣町に変わったオモシロイ酒屋さんがあるといとこから教えられ、この蔵に出会えたんです。
酒蔵で応用研究が夢か、ですか?――ウーン、研究成果に商品を無理やり合わせると、まずいお酒になってしまいそう(笑)。桝一の場合、むしろ基礎研究がいい気がするんです。おいしいお酒をつくって飲み、基礎研究でわかった知的刺激を受け・・まだ、すごい漠然とした思いですが!
じゃあ、基礎研究で何をするのか。まだ見つけられていません。それを見つけたい。今はとにかく、この冬から桝一の酒づくりに加わりたい! と、祈る気持ちなんです。

 はるばるアメリカからインターンとして桝一に来て1年。
日本的な名前は、日系アメリカ
人の祖父母から受け継いだ。


 米と水、麹と酵母。カンタンなもの、シンプルな原料から、とてもフクザツなものをつくる。日本酒づくりはおもしろい。桝一の蔵でひと冬働いて、知りました。酒づくりのプロセス、大体わかった。もうつくれるかも(笑)、フフ。
 アメリカにいたときは日本酒、あまり好きじゃなかった。ワインにはつくり手の個性が入るけど、日本酒はどれも似た感じ。大きな会社の日本酒の味は、カンタンです。でも日本に来て、日本酒にもフクザツな味があるとわかった。


 アメリカの大学でコンピューター・グラフィックスとデザインを学び、ホームページをつくる仕事に就いていました。でも、もともと好きだった食にかかわる仕事を考え始めたとき、セーラさんを知り、桝一を知りました。
 寒い蔵で働く、あのストレスが好き(笑)。暖かい部屋でコンピューターを使う「ストレスなし人生」より、「ストレスあり人生」がいい。ボクは蔵人でありたい。タンクでモロミがブクブクすると、alive(生きてる)!って感じ(笑)。今年も仕込みにぜひ参加したいです。

桝一市村酒造場の専務。
かつて桝二の名で味噌・醤油製造に取り組んだ。


 桝一のお店で接したお客様に、小布施の町を、蔵のお酒を楽しんでいただきたい。いつもそう思っております。
 名前のとおりこの蔵の一族でして、いまの社長とはいとこ同士です。どうしてあんなに遊んだかというほど、私たち、昔はよく遊びました。一族の少年4人でいつもつるんで、使われていない蔵に入り込み、縄を張ってターザンよろしく空の大桶に飛び込んだり。肝試しに長野電鉄の鉄橋を渡ったり・・ああ、楽しかったですねぇ。

 桝一の社長によれば、2歳年上の私がシモネタの先生だったとか(笑)。そんなご縁の私が桝一に入ったのは、ここ10年ほどです。それまでは桝二におりました。
 桝二といいますのはね――桝一が本家で、酒屋でしょ。私のおじいちゃんの悦二が分家して、味噌・醤油屋を始めたんです。大正の頃かな。桝二の屋号をいただいてね。
 醤油の大桶が8本、味噌の小さな桶も沢山ありました。江戸時代、桝一が菜種油を扱っていたころ建てたという古い蔵に。小さい頃から櫂入れは、よく手伝ったものです。「落ちれば死ぬぞ」なんて、親から言われながらね。
 それが食生活が変わり、はたまた昔は高かった大メーカーのお醤油が安くなったりで、地の醤油屋は苦戦しまして・・昭和50年代、味噌・醤油づくりはやめました。  
「桝二みそ」と、「江戸むらさき」。桝二が醸した味噌と醤油の名前です。その蔵の跡地がいますっかり建物も入れかわり、桝一客殿が生まれようとしているわけです。
 そりゃ、ちょっと淋しいですよ。でも、うちの悦二じいちゃんがお預かりした土地をいま桝一に活かしていただき、新しい小布施の魅力づくりとする――少しカッコつけすぎかな(笑)。それが私の役割と思うんですよ。