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大正12年(1923) 桝一市村酒造場本店
当時はまだ一升壜(ビン)も一般的ではなく、出荷は樽や瀬戸物容器(1斗〜4斗)が主流でした。また小売は貧乏徳利などの通い壜やお客が持参した容器への量り売りが主でした。従って配達は荷車や馬車、雪のある季節には修羅(大型のソリ)すら使われることもありました。




桝一市村酒造場「下の蔵」
春になり仕込みの季節が終わると、仕込み桶などは殺菌と乾燥のために酒蔵の裏庭に日干しをします。高さ数メートルの大桶が20本〜30本も並ぶ風景は壮観で、また子供達にとっては絶好の遊び場所でもありました。写真は桝一「下の蔵」の 桶の日干し風景。


     
 
半切り(桶)と技師(先生)
後ろに積み上げられた桶は「半切り」と呼ばれる底の浅い桶で、酒蔵では仕込み以外の様々な用途に使われた道具です。また、戦前は技術系の高等官吏のことを「技師」といいましたが、この白衣の人々は醸造技術の専門官です。蔵人からは「先生」と仰がれた方々です。なおこの場所は、現在レストラン「蔵部」の厨房になっています。


   
高井鴻山(1806年〜83年)
小布施の生んだ「維新の先覚」高井鴻山(市村三九郎)は当家12代です。京都や江戸に出て梁川星巌、岸駒、貫名海屋、佐藤一斎などに学び、漢詩・書・文人画に優れた才能を発揮し、妖怪画は特に有名です。また政治や教育分野でも活躍し、佐久間象山・久坂玄瑞・葛飾北斎など多くの人々が訪れました。
 
 
葛飾北斎(1760年〜1849年)
「尾州不二見ヶ原」(富嶽三十六景)

北斎は様々な職人の姿を描いていますが、桶職人を描いたものの代表的なのはこの富嶽三十六景「尾州不二見ヶ原」でしょう。桶の研究者によると、この絵(版画)の道具類やその使い方、そして部材や道具の置いてある位置などは実にリアルで妥当性があるとのこと。そのへんが北斎の北斎たる所以でしょうか。